カープの歴史1951年球団解散の危機に直面!たる募金が救う!

歴史

1950年創設最初のシーズンのカープは勝率.299で最下位。

しかも、選手に払うお金もセリーグ連盟に払うお金もない。

いきなりの球団解散の危機に!

たる募金っていうのはあなたも聞いた事ありますか?

マツダスタジアム建設の前にありました。

実はそのたる募金、1951年が最初なんです。

カープの1951年は解散の危機

1951年のカープ監督は石本秀一。

1950年と変わらないままでした。

ただ、周囲の状況は少し変わっていました。

前年はセリーグ8球団でしたが、シーズン終了後西日本パイレーツがパリーグの西鉄クリッパーズ(西武ライオンズ前身)と合併していました。

1951年のセリーグは7球団でのスタートになります。

この状況はカープも同じで、セリーグ連盟からは大洋ホエールズの傘下になるようにすすめられます。

この年の3月には実際に大洋に吸収合併と実際に報じられた程に本当に解散になってしまう危機的な状態でした。

これは石本監督が周囲の役員を説得しどうにか、阻止しました。

カープの存続は何とか決めましたが、セリーグ連盟としてはどうもそれが面白くなかったらしく、カープにとっては無理な額の拠出金を要求したりといったことがありました。

カープ側もこれに反発したという事態が起こりました。

この事でカープだけ公式戦開幕が遅くなってしまいます。

セリーグ連盟としても、どうやらカープをお荷物扱いしていたようです。

それは、どこの世界も同じ事ではありますが、連盟に入っていながら貧乏すぎてお金が払えないようでは、いてもらっても邪魔なだけといった感じです。

この年、監督の石本秀一は試合を白石勝已に任せて、自分は金策に奔走します。

後援会を発足し、「おらがチーム」を広島全体でという事を訴えます。

後援会からの寄付金と、球場前で存続を願うファンからの募金を募ります。

それを酒樽に募金した事からたる募金となります。

後援会や市民の下支えがあり、カープ球団はこの年、黒字に転じます。

カープ1951年の戦績

経営的には黒字になったとはいえ、2年目のカープも実力的にはリーグ最低。

しかも試合数も他チームより少なくなりました。

セリーグ成績順位表

順位チーム試合数勝率首位までの差
1読売ジャイアンツ11479296.731
2名古屋ドラゴンズ11362483.5641818
3大阪タイガース11661523.5402.520.5
4松竹ロビンス11553575.4826.527
5国鉄スワローズ10746592.4384.531.5
6大洋ホエールズ10840644.3855.537
7広島カープ9932643.333441

6位の大洋ホエールズとは4ゲーム差の最下位でした。

この年は、日米野球が開催される為に優勝が決まってから、早めに打ち切られたので試合数に差があるようです。

借金も32あります。

個人成績的にもあまり見るべきところはなく、武智修選手が.314で7位になっています。

チームの打率も.245で最下位で、チーム防御率は4.62で6位で最下位を免れています。

ちなみにこの年首位打者はあの伝説の安打製造機、川上哲治です。

カープとしては、個人成績的にもチーム的にも厳しいシーズンになりました。

開幕前のごたごたのおかげで、試合数まで大きな差が出てしまってます。

カープ1951年所属選手

監督

30 石本秀一

投手

背番号 名前 備考
13 笠松実
14 田所重蔵
15 内藤幸三 1951年途中現役引退
15 斎藤宗美
17 杉浦竜太郎 1951年新人開幕投手完投勝利リーグ初の快挙
18 長谷川良平 チーム最多32勝
19 萩本保
20 中山正嘉 1951年途中現役引退
20 渡辺信義
22 石川清逸
23 箱田義勝
25 市田夏生 1951限りで引退
32 石黒忠
33 吉若昌弘

野手

守備 背番号 名前 備考
捕手 2 坂田清春
27 長谷部稔
内野 1 白石勝巳 地元出身スター選手兼助監督
3 辻井弘
5 井上嘉弘
10 山川武範 シーズン途中巨人から移籍
11 高木茂
16 武智修 1951年から野手に専念打率.314
24 磯田憲一 160㎝小柄のバント職人
外野 7 岩本章
8 長持栄吉
10 樋笠一夫 シーズン途中巨人へ移籍
12 山口政信 9/12阪神戦チーム初サヨナラ本塁打、シーズン終了後引退
37 紺田周三

1951年のカープまとめ

石本秀一監督のチーム愛で、設立された後援会と市民の下支えがあり、黒字になりました。

まさに市民球団っていうのにふさわしいチームでした。

親会社になってほしいと頼み込んだ事もあったようです。

しかし、様々な障害があり親会社を持つ事はありませんでした。

チームの実力としては、まだまだでありながら、少しづつカープというチームが形になっていきます。

しかし、1952年にはまた新たな壁がカープの前に立ちふさがります。

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